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   <title>やれる気ドーパミン</title>
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   <title>連載　最終回　雨に濡れてみる</title>
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   <published>2007-10-24T03:21:58Z</published>
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   <summary>　雨の日の出来事である。「傘を差さずに濡れて歩くってどうだろう」そう言って、私の...</summary>
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      　雨の日の出来事である。「傘を差さずに濡れて歩くってどうだろう」そう言って、私の友人は激しく雨が降る日に傘をたたんで、全身びしょ濡れになりながら、楽しそうに歩きだした。友人は私にも同じ事をするように勧めた。私は一瞬悩んだが、着ているスーツが濡れるのを躊躇して結局やらなかった。そして友人が楽しそうに雨に濡れて歩いているのを見て、大人気ないと思った。と同時に、正直羨ましいとも思った。

　何故、あの時あんなに羨ましいと思ったのだろうか。とにかく、やらなかった自分に後悔したのである。そんな思いもあってか、次の機会をひそかに狙っていた。ところが、やる気はあるのだが、いざやるとなるとなかなか恥ずかしくて、そう簡単には出来ない。人の目が気になるし、またやる前に髪や服が濡れることのリスクを考えてしまう。やりたい気持ちと羞恥心、本能と理性の葛藤である。
　それでもやりたい気持ちを抑えることができず、ある日、激しい雨の日にＴシャツに短パン姿で、誰も居ない深夜に決行してみた。激しい雨に打たれながらびしょ濡れになって歩くのは、想像以上に快感であった。両手を大きく広げ、天を仰ぎながら雨に濡れる開放感は、何とも言えない気持ちよさである。途中すれ違う通行人が、怪訝そうな表情でこちらを見ると、最初こそ急に我に返って、こそこそとその場を走り去ったが、いい加減びしょ濡れになると、人の目もだんだん気にならなくなり、ある意味「それがどうした！」の心境であった。気分も爽快で、開放感に満たされたのである。
　けっして雨に濡れるのが気持ちよいのではない。濡れることが楽しいのならシャワーを浴びるだけで十分である。実は、私たちは雨に濡れることにより、「雨に濡れないようにする」という自分自身の規範や枠組みを解放することが、快感なのである。この快感の正体は「開き直り」である。
　人は、このように「開き直る」と気分が軽くなる。「雨に濡れてはいけない」、「風邪を引いたらどうしよう」、「濡れたままでは恥ずかしい」、そう考えては、濡れないように神経質になり、それが、自然と負担になる。私たちは、ビジネスの中でも、日常生活の中でも、意外にこの目に見えない規範の枠に縛られて苦しんでいることが多い。「こうしなければならない」、「こうあるべき」、「こうならなかったらどうしよう」と自らの思い込みの中で作られる「規範」に行動を制約され、場合によっては、ストレスを感じて心のバランスを崩してしまうこともある。そんな時にこそ開き直って、行動してみてはどうだろうか。たまには傘を差さずに雨に濡れてみるのも悪くない。職場の様々の問題や課題に行き詰ってにっちもさっちもいかない時は、「開き直って」みるのもひとつの手である。
　苦しんでいる時にこそ、思い切って傘をたたんで、ずぶ濡れになってみよう。「開き直り力」を発揮して、自分の規範の枠組みを突き破ってみるのである。そんな時の雨は意外と貴方に優しいものである。
      
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   <title>連載　第五回　一枚の葉書</title>
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   <published>2007-08-21T10:09:28Z</published>
   <updated>2007-08-21T10:10:16Z</updated>
   
   <summary>　２０代の頃、私は「伝説の営業マン」を夢見ていた。そうなるためにはどうすればよい...</summary>
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      　２０代の頃、私は「伝説の営業マン」を夢見ていた。そうなるためにはどうすればよいのかいつも考えていた。とにかく人並みはずれた成果を上げなければ伝説にはなれない。問題はどうすれば人並みはずれた成果を上げることができるかである。しかし、その答えはなかなか見つからない。
　考えついたのは、書店へ行きトップセールスが書いたノウハウ本を探して読むことだった。しかし、そこに書かれている内容に私の求めていた答えはなく、はっきり言って当たり前のことしか書かれていなかった。何か隠されたノウハウが必ずあるはずだと信じて一生懸命探したが、結局それが何なのか、その時の私にはどうしても分からなかった。それでも諦めきれず、何としても知りたかった。
　そして考えた末に取った行動は、直接トップセールスに話を聴くことだった。ちょうどそのころ、ある自動車メーカーの営業教育の教材制作に携わっていた私はその機会を利用して、全国に散らばる選りすぐりの優秀営業マンに直接話を聴いてまわることができた。
　何万人もいる営業マンの中でもトップクラスの優秀な面々である。私はいよいよその「何か」が明らかになることに胸躍らせた。
　ところが、いざインタビューをしてみると、「時間をきちんと守る」「お客様は勿論、社内のどの部署の人にも元気よく挨拶をする」「第一印象が大切である」「お客様の話をよく聴く」「クレームの時こそ、より誠心誠意な対応をする」「お礼状をきちんとすぐに出す」など、当然のことばかりがでてくる。これで本当に伝説になれるのかと、少々拍子抜けしてしまった。
　そんなある日、その日も都内でインタビューを行った。しかしその営業マンが話してくれた内容も、やはり他の人と同じように至極当たり前の基本的なことであった。夕方から始めたインタビューが終わった頃にはすっかり時間も遅くなっていた。もう一件お客様との約束があるというその営業マンにお礼を言って別れ、私は会社へは戻らず自宅へ帰った。翌日は１日外出し、翌々日、会社でその営業マンにお礼状を書こうかと考えていたまさにその時、私のもとに彼から御礼の葉書が届いたのである。つまりそれは、彼が私のインタビューを受けてくれたその夜、全ての仕事を終えた後に筆を取りその日のうちに投函したものだ。一方インタビューをお願いしたほうの私はというと、２日後の今になってもまだ考えあぐねていた。葉書を持つ手が震えた。
　「お礼状はきちんとすぐに出しましょう」私たちは営業の基本として当たり前のように言っている。でも、それを継続して必ず実践しているだろうか。この一枚の葉書に、私は伝説になる人となれない人の差を感じて鳥肌がたった。若かった頃、伝説になるような人は必ずスペシャルな何かを持っているのだと信じていた。自分にはスペシャルなものがないといつも嘆いていた。でも本当は、何かしらのスペシャルなノウハウがあるのではなく、「当たり前のことを当たり前に行う」それを「継続して行う」、それが答えなのである。口で言うほど簡単ではない。ただ、そのことに気付くか気付かないかは大きな分かれ目なのだ。
      
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   <title>連載　第四回　ポジティブに考える</title>
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   <published>2007-07-19T10:46:04Z</published>
   <updated>2007-07-19T10:46:40Z</updated>
   
   <summary>研修業界で仕事をしていると、この時期は新入社員から配属についての悩みをよく聞く。...</summary>
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      研修業界で仕事をしていると、この時期は新入社員から配属についての悩みをよく聞く。悩みというのは「自分の希望した部署ではなかった」「自分の希望した配属地ではなかった」という、至ってシンプルなものだ。ただ、彼らにとっては非常に気になることであり、自分の新人時代を思い出すと、どこに配属されるのか、発表日まで気が気ではなかったので彼らの気持ちも十分理解できる。特に地元に彼氏や彼女がいる人などは、配属次第で遠距離恋愛になってしまうかも知れないのだから一大事である。
　だが、こればかりはどうにもならない。もっと言うなら大きな企業に就職した段階で、どこに配属されるかはある程度覚悟しなければならない。

私の学生時代の仲間で金融機関に就職した友人がいた。彼は東京生まれの千葉育ちで、東京の高校と大学を卒業している。だが就職した会社での配属先は、まったく縁もゆかりもない遠く離れた九州の小さな地方都市であった。配属が決まってそのことを知った私は、さぞかし彼が落ち込んでいるのだろうと思い、彼の居る九州の寮に電話をかけた。ところが彼は落ち込んでいるどころか私に電話の向こうで嬉しそうに、こう言ったのである。「大林、ここはいいぞ。ラーメンは美味いし、とにかくゴルフ場が安い！ 俺はこの機会にゴルフを始めようと思うんだ。週末が楽しみだ。良いところに配属された」
　極めて前向きな考えである。そんな彼が数年後、今度は大阪に転勤になり、私が大阪へ出張した折に久しぶりに会うことになった。そこでも彼はやはりこう言ったのである。「大林、大阪はいいぞ。なんたって食い物がうまい。それにお笑いの本場はやっぱり大阪だな。話にオチがある。面白いぞ」とまた前向きな意見である。それから数年が経ち、今度は東京の本社に戻り主要部署への転勤が決まった時、彼はこう言ったのである。「やっと本社で俺の力を発揮する時が来た。やってやるぞ！」彼のポジティブ思考にはいつも感心させられる。その後もロンドン、札幌、福岡と転勤を繰り返したが、その都度、彼はその土地の素晴らしさや楽しみ方を熱く語るのである。別にどこだからというのではなく、また何の仕事だからというのでもなく、「どこへ行っても」「何をしても」彼なら最高に楽しむのだろうと思う。楽しい場所があるわけでも楽しい仕事があるわけでもない、その場所を楽しくするのは自分であり、その仕事を楽しくするのも自分である。
　生きていれば、自分の思い通りに行かないことはいくらでもある。大事なのは、その時にそれをどう捉え、どう消化していくかではないだろうか。人生を楽しく生きるコツは、前向きに、且つ積極的に考えることである。
　「ポジティブに考える」その方がずっと気持ちが楽になる。「ポジティブに考える」その方がずっと面白くなる。「ポジティブに考える」その方が自分の可能性は大きく広がる。
　「事実は変わらない」それを変えてしまうのは、自分自身の見方と心である。
      
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   <title>連載　第三回　ビジネスの原点</title>
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   <published>2007-07-19T10:45:20Z</published>
   <updated>2007-07-19T10:45:42Z</updated>
   
   <summary>　「ほめられる」そのことが、意識や行動に大きな影響を与えることがある。 　私は、...</summary>
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      　「ほめられる」そのことが、意識や行動に大きな影響を与えることがある。
　私は、バブル華やかな頃大学を卒業し証券会社に入社をした。勿論、営業という仕事である。学生時代から営業のアルバイトをしていた私は、営業という仕事については同期に比べて少しばかり自信を持っていた。ところがいざ配属となって仕事を始めてみると思うように成果があがらない。そうこうしているうちに同期は徐々に成果を出し始め、取り残された私は焦りと後ろめたさに気持ちばかりが空回りしていた。
　鳴かず飛ばずが４ヶ月も続いた頃には、「そもそも自分は営業には向いていない」とまで考え始め、仕事に対するモチベーションも上がらず毎日が憂鬱だった。
　そんなある日のこと、店頭に杖をついた高齢の男性客が来店された。先輩に指示されて、急遽そのおじいちゃんの対応を私が任された（理由は支店内で一番仕事が無かったからである）。ここでドラマならば、「実はこの老人がとんでもない大富豪で、私は成功の階段を昇り始める…」となるのだが、現実はそんなにうまくはいかず、市営住宅にお住まいの年金暮らしのお年寄りだった。株を買うのも初めて、動機はボケ防止だそうで、少額の金額で出来れば良いということだった。店頭で株の買い方や今の市況を私なりに説明した。ぎこちない説明で上手く伝わったかどうかはかなり怪しいものだった。でも説明が一通り終わった時に、おじいちゃんは私の顔を見て笑顔になってこう言ったのである。
　「凄いねぇ、さすがプロだねぇ、よく知っているねぇ」その瞬間、私の中で何かが弾けた。それまでの憂鬱な日々、自信喪失の自分、やる気のない気持ち、そんなものは一切吹き飛び、気がつけば夢中になって説明していた。その日からというもの会社でも、通勤中も、夜遅く会社の寮に戻ってからも寝る間を惜しんでがむしゃらに勉強をした。「凄いねぇ、さすがプロだねぇ、よく知っているねぇ」この一言が聞きたくて必死になって情報を集めた。おじいちゃんは毎日のように店頭に現れ、私の説明を真剣に聴いてくれ、その都度、感心してくれるのである。ほめられるのが嬉しくて嬉しくて、ただそれだけで、みるみる知識も情報も増え、説明そのものも格段に上達した。そうこうしているうちに他のお客さまも急激に増え、半年もすると新人ではトップクラスの成績になっていた。
　証券会社を退職する時に、おじいちゃんが私のために横浜は桜木町の小さな中華料理屋で送別会を開いてくれた。当時８７歳だったおじいちゃんは、涙で目を潤ませながら、震える手でビールを私に注いでこう言ったのである。「大林さんが担当してくれて良かった。本当に良かった。」後にも先にも社会人になって人前で大泣きしたのはその時だけである。嬉しさよりも悲しさよりも、悔しい気持ちで一杯だった。自分にもっと知識があれば、能力があれば、この人を儲けさせることが出来たのに、自分に力が無いばかりにいい思いをさせてやれなかった自分への不甲斐なさが、悔しくって、悔しくって涙が止まらなかった。
　今でもあの時の気持ちとビールの味は忘れない。振り返るとあれが私の「ビジネスの原点」。私たちは、人からほめられて感謝された時にビジネスの喜びを知り、自分の不甲斐なさを思い知り悔しいと感じた時に成長が始まるのだ。
      
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   <title>連載　第二回　脳みそを騙す</title>
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   <published>2007-07-19T10:40:24Z</published>
   <updated>2007-07-19T10:44:18Z</updated>
   
   <summary>　うちのオフィスでは、有線で音楽を流している。先日、８０年代の洋楽ヒットチャート...</summary>
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      　うちのオフィスでは、有線で音楽を流している。先日、８０年代の洋楽ヒットチャート・チャンネルを聴いていた時に、昔よく聴いた曲が流れてきた。懐かしく思いながら聴いていたが、誰の何という曲だったかがどうしても思い出せない…。
　社員に聞こうとも思ったが、そんなことで仕事の手を止めさせるのも気が引けるし、それに「年代が違うので聞いてもわからないだろう」と勝手に思ううちに曲は変わり、結局うやむやになってしまった。その日から頭の中で、そのメロディが気にかかっている。だがやはり誰の何という曲かがどうしても思い出せない。人に聞こうにも洋楽なので、上手く口ずさむことも出来ず、結構悶々とする。こんな時に自分の記憶力の低下を嘆きたくなる。
　たぶん多かれ少なかれ皆さんにも経験のあることかと。それが、先日、スポーツジムの帰りにフラッと立ち寄ったＣＤショップで偶然見かけたＣＤジャケットで思い出した。思い出してしまえば、何のことはなく、何故思い出せなかったのかが不思議なくらいだった。忘れるということは、消えてなくなるのではなく、保存した記憶がどこにあるのか取り出せなくなる状態なのだそうである。だから、あるきっかけで急に思い出したりすることもあるのだ。脳や意識の研究というのは、まだまだ解明されていない部分が多くあるが、それでも徐々に明らかになっている。
　意識には、顕在意識と潜在意識があるが、この潜在意識の中に封印した記憶が蓄積されているのだそうだ。普段は顕在意識と潜在意識の間を覆う膜（Critical Faculty）があり、この膜があるために情報を簡単に引き出すことが出来ない。また、厄介なことに、この潜在意識に入った情報によって、無意識のうちに行動を支配されることがある。潜在意識には特徴があって、顕在意識で考えたことイメージしたことが潜在意識に入ってくる。潜在意識は誰かが作るのではなく、自分自身が作るのである。そしてその特徴として、潜在意識は現実と空想を区別できないし、現在と過去、未来を区別できない。また、一人称、二人称、三人称も区別できない。つまり「脳みそは騙されやすい」のだ。この思い描くイメージを潜在意識に入れることを“暗示”と言い、この暗示によって行動の変容が可能になる。
　すなわちポジティブな暗示により、前向きな行動に自分自身を変容させることが出来るのである。スポーツのメンタルトレーニングなどはこの応用である。騙されやすい自分自身の脳みそを、自分自身で意図的に騙してみるのはどうだろうか。
　しかし、自分で自分を褒めたり、励ましたりするのはなかなか難しい。そこで意識して周囲の人たちを褒めたり、励ましたりする方法をとる。何故なら潜在意識は誰が誰に言ったものか判別できないので、結果的に自分自身を褒めたり、励ましたりするポジティブな暗示をかけるのと一緒なのである。人を褒めたり、励ましたりすることで周りの人はやる気になり、実は自然に自分も前向きになれる。これはお得だ。
      
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   <title>連載　第一回　答えは自分の中にある</title>
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   <published>2007-07-19T10:38:00Z</published>
   <updated>2007-07-19T10:44:37Z</updated>
   
   <summary>　20代のころ読んだ雑誌に､当時英国の首相だった｢鉄の女｣の異名を持つあのマーガ...</summary>
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      　20代のころ読んだ雑誌に､当時英国の首相だった｢鉄の女｣の異名を持つあのマーガレットサッチャーのインタビュー記事が載っていた｡その雑誌の中で､インタビュアーは彼女にこんな質問をしていた｡｢今の若者に一言､もし政治家を目指すならばどんな勉強をしたらよいでしょうか｣その問いに彼女はこう答えていた｡
｢それなら歴史と哲学を学びなさい｣
　政治学でも財政学でも経済学でもなく､｢歴史と哲学｣と彼女はそう言ったのである｡もう20年近く前のことであるが､その記事は強烈に印象に残っている｡
　将来は起業したい､経営者になりたいと思っていた自分が､やはりそのころ知り合ったある経営者に質問したことがある｡｢経営者になる為にはどんな勉強をしたら良いのでしょう｣彼は即座にこう答えた｡｢経営のイロハを学ぶことも大切だが､それならまずは歴史を勉強しなさい｡歴史の中には教訓がある｣ならば歴史小説でも､と山岡荘八100冊シリーズを端から読んだ記憶がある(残念なことに60冊くらいで挫折したが…)｡
　後で考えると別に歴史小説を読みなさいといったわけではなく､過去にあった事実や経験から､すなわち歴史から教訓を抽出しなさいということなのだと思う｡
　世界の歴史､日本の歴史も良いけれど､ここは少し視点を変えて､自分の歴史を振り返って教訓を抽出してみるのも面白いのではないだろうか｡自分自身の数十年間の歴史を振り返り､どのようなことを経験してまた､どのような教訓を得たのか､改めて考えてみることは､これからの自分の生き方を考える上で大変有益である｡
　人生は山あり谷あり､良い時もあれば平坦な時もあり､落ち込む時もある｡つまり必ず波があるということ｡例えば､たまたま落ち込んでしまった時には､自分の歴史を紐解いて､以前に落ち込んだ時にどうやって復活したのか冷静に分析してみる｡必ずそこには何かヒントがあるはずだ｡
　その復活の方程式みたいなものを確立してしまえば､これから落ち込むことがあっても安心していられるし､復活も早い｡同様に成功したときにも必ず何か成功の要因があるはずだ｡まさに歴史を教訓にして未来に活かすということだ｡
　社員教育を担当させてもらって感じるのは､伸びるタイプの人材と伸び悩むタイプの人材の大きな違いである｡伸び人材は間違いなく経験や体験を教訓にして､自分自身で自分を改善していく｡つまり､ミスはしても同じミスを2度しない｡
　ここで一度､自分の歴史を紐解いて教訓を抽出してみるのもいいかもしれない｡
　必ず今後に活かせるヒントが見つかるはずだ｡
｢答えは自分の中にある｣私達は経験を教訓にし､成長する｡
      
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