前号までeggmanでのライブレポート企画で連載してきた「卵からの音動」
今号から次号にわたり2話完結の社長自伝を掲載!!!
題して『坂の上の卵』 ・・・はたして何を語るのか
俺が初めてeggmanを訪れたのは、たしか19歳の時、1997年の冬だった。自分たちで宅録したデモテープ数十本を鞄に詰め、茨城から東京へ。知り合いに聞いたお勧めのライブハウスを一軒一軒プロフィールを持って渡り歩いた。そのとき、ライブオーディションもできずテープ審査で落選したライブハウス、それが俺にとってeggmanとの最初のコンタクトだった。
それから6年の月日が経った2003年夏。運命の歯車はまた再び俺とこのライブハウスを引き合わせた。それは一本の電話から始まった。お世話になっていた先輩が、それまで勤めていたライブハウスを辞め、エッグサイトというライブハウスで働くというのだ。自分も協力しますよ何て話してはいたが、名前も知らない箱だった。一ヶ月後、また先輩から連絡がきて、俺のバンドに、そのライブハウスのオープニングライブに出演して欲しいと言われた。ぜひ参加させて欲しいという話をしたら、ライブハウスの名前を昔使っていたものに戻すと言われた。そこで出てきた名前があの“eggman”だった。つまり、エッグサイトとはeggmanのことだったのだ。
その頃の自分は売れないバンドマンをしながら、日雇いの仕事していた。大学卒業後、地元の小さなライブハウス“PARK DINER”でアルバイトして働いていたが、オーナーと喧嘩をして辞めてしまった。それ以来、ずっと日雇い生活が続いていた。そんな自分に、先輩は東京に出てきて、eggmanで働かないか? と突然、声をかけてくれた。すぐにでも行きたい気持ちはあった。でも、自分のバンドのことを考えると、躊躇する気持ちの方が大きかった。そしてもう一つ。喧嘩して辞めたPARK DINERが移転して大きなライブハウスになると決定していて、戻ってきて欲しいと熱烈に勧誘されていた。自分の中では、地元に残って新たなライブハウスを作る!! という情熱が勝っていたが、断りの電話を入れる前日、なぜか考えが逆転した。
「一度、東京で勝負するか、、、」心の中で一つの決心がめらめらと燃えていた。
意を決して上京し、eggmanに出社した二日目、社長と言われている日本人と、黒人が英語で喧嘩をしていた。その黒人はヒートアップして、怒鳴り散らしながら、スタッフ全員をその場に集めた。
「こいつは、売り上げがあがるまでお前らに給料を払わないと言っているが、それでいいのか?」いきなりのナイスな挨拶にびびりまくり。えらいところに来ちゃったな、、、油汗をかきながら、もう戻れない田舎を思い出し、どうなるんだろうとただ自分はそこに不安のまま立ち尽くすだけであった。 …次号完結









