No.7 若林昇 株式会社グレープストーン

パートや派遣社員の比率が高く、将来、日本の重荷になるとも言われる就職氷河期世代。しかし、厳しい環境に鍛えられたからこそ、他の世代以上に底力を発揮する人も多い。その中の一人、お菓子のヒットメーカー若林昇を紹介したい。
PROFILE
若林昇 (わかばやし・のぼる)
1975年、神奈川県生まれ。多摩美術大学卒。大学卒業時の就職試験面接に、リクルートスーツを着用したくないというこだわりから私服で挑むも全滅。就職浪人。約半年間のデザイン会社でのバイトを経て、東京ばな奈を製造販売する株式会社グレープストーンに企画開発担当として入社。「クロベエ・ジャポン」「しっとりクーヘン」などの新ブランドを軌道にのせた。
もうわがまま言いません…プライドを捨てて下積みから始めよう
——若林さん、今、31歳ってことは就職氷河期が本格化しはじめた頃の世代ですよね。就職活動は苦労したんですか?
「それは、もう思い出したくないくらい…僕は多摩美術大学でプロダクト(製品)デザインを専攻してたんです。就職氷河期に加えて、プロダクトデザイナーの募集は他の職種に比べてただでさえ少ない。就職の時期になれば、就職試験が受けられる…と信じ込んでいたんですが、大学に求人募集がほとんど来なかった。そこで、プロダクトに比べ募集数の多いグラフィック(主に広告・宣伝)デザインに志望を変更して有名広告代理店の面接を何社か受けたんです。でも、元々グラフィックの勉強をしてきた人たちに勝てるはずもなく、最終的には全滅で就職浪人…デザイン会社のバイトが社会人としてのスタートになりました」
——バイトしてる頃ってどんな心境だったんですか?
「バイトしながら、とにかく自分ってすごくかっこ悪いって思ってましたね。プライドだけは高くて、例えば大学時代の就職試験もリクルートスーツではなく私服で面接に行って、サラリーマンにはなりたくない! って感じでかっこつけてた。それで、オレはデザインできる、情熱は誰にも負けないって心の中で吠えている。でも、現実は何一つ社会貢献できてないただのバイト。そんな自分に納得できなかった。それで、卒業から半年たった初秋になってようやくリクルートスーツを着る気になったんです。きちんとネクタイ締めてもう一回就職試験受けよう、デザイナーでなくてもいいからとにかく社会の荒波に揉まれる状況を作ろうと…プライドは全部捨てて、下積みからはじめよう、もうわがまま言いません…そんな気持ちでした」
——まぁ、就職氷河期というよりも、私服の方が大きな問題だった気もしますが…。どんな感じで、新たな職探しをはじめたんですか?
『27歳以上、経験3年以上』のハードルを超えるために
「就職情報誌を買いました。そこに掲載されていたのがグレープストーン(東京ばな奈の製造・開発企業)の求人広告。グレープストーンとして、初めて社外から企画開発担当を大々的に採用するという内容でした。土産物に縁のなかったその頃の自分は東京ばな奈って一体なんだ? くらいの感じで…商品を知らなかった。でも、その広告に書かれていた社長の熱いメッセージに惹かれ説明会に行く決心をしたわけです。ただ、高いハードルがあって、応募要項の中に『27歳以上、経験3年以上』という条件があった。自分は24歳だし、業界未経験。しかも、社会人経験すらないに等しい。普通に受けたら書類選考の時点で省かれる可能性が高い。そうならないためにどうしたらよいか、と知恵を絞って、説明会に東京ばな奈の広告デザイン案を持ち込むことにしました。それがこれなんですが(と、ファイルを取り出す)」
——(ファイルを拝見)んー、ものすごい数の広告案を作ったんですね。あと一つひとつに魂込めているな、と感じます。相当インパクトありますね。
「それ以外の部分でも、説明会がはじまる1時間前に会場入りして、最前列の席を陣取ったりして」
——ちょっと前まで、リクルートスーツを着たくない! と吠えてたとは思えない(笑)。
「それは、もう心を入れ替えていますから(笑)。社長の会社説明を全身全霊で聞いた後、総務の方に広告デザイン案をまとめたファイルをお渡ししたんです。そしたら、総務から社長に『こんなの持ってきた人がいるんです』とファイルが渡り、『こいつはおもしろいから、次の面接も受けさせろ!』と社長が言ってくれたようです。最終的に社長面接まで辿りつくことができ、『お前は経験がないから新人扱いで採用する。その分、人一倍頑張れ』とアドバイスをいただいて、ギリギリの状態で拾われました」

















