No.8 太田光代 芸能プロダクション タイタン代表

「うちのかみさんならさぁ!」「うちのかみさんはさぁ!」TVに出演している爆笑問題、太田光が「うちのかみさん」と口にする瞬間がとても好きだ。他の芸人が奥さんの話をする時と違い、彼の中でかみさんの存在がとても大きいことを感じる。爆笑問題が事務所移籍と共に失速した20代後半。彼らを甦らせたのは、そのかみさんだった。そして、今も彼女は爆笑問題の核でいるのだろう。きっと。
PROFILE
太田光代 (おおた みつよ)
太田光代(おおた・みつよ)1964年、東京都生まれ。雑誌モデルなどを経てタレントに。26歳で爆笑問題の太田光氏と結婚。29歳で芸能プロダクション「タイタン」を設立。このインタビューでも分かる通り、太田光代さんのマネジメントをきっかけに爆笑問題がブレイクした。タイタン社長とは別の活動として、ハーブショップ「ウィッチムーン」を開業。
●太田光代さんのハーブ&アロマの専門店「ウィッチムーン」 杉並区阿佐ヶ谷南1-12-5(阿佐ヶ谷駅南口より徒歩10分)
営業時間11:00〜19:00 http://www.witch-moon.com/
爆笑問題 起死回生の瞬間
ただ、だらだらと過ごしちゃったら 後悔する可能性があるじゃないですか
——爆笑問題が売れなかった頃、太田光さんを太田社長がバイトやパチスロで食べさせていた、というのは有名な逸話ですが、その時「あんた働きなさいよ」みたいなことは言わなかったんですか?
「それはなかったですね。TVでの太田は営業用の顔。本当はおとなしくて人見知りなんです。性格上、接客業につくのは難しい。さらにお金の計算が苦手なので、ファーストフードやコンビニの仕事もできない。となると、やれるバイトは何もない。その変わり、文章を書いたり、演じる能力はあるな、と感じていました。その能力を活かさないとこの人は何にもできないと納得して結婚しましたから、無理なことをさせるつもりはなかったんです。趣味は読書で文才もありましたから、いずれは、小説家になっても良さそうな感じだったんですが、それって今やってよ! という話じゃないし。あと、私の考え方で言うと、食事にしても、住むにしても、一人も二人もそんなに変わらない。太田と逆で私はどこでも稼げるタイプ。どっちかが働けば、二人くらい食えるよってくらいの感覚でした」
——その頃、田中さんがバイトしていたコンビニで太田社長も一緒に仕事をされていたこともあったそうですね。
「田中は浪人時代からずっとコンビニでバイトをしてました。太田が家にこもっていることより、田中が店長候補にまでなってイキイキとバイトをしていることが不安でした。こいつはお笑いで食っていけなくてもいいや! と思っているなと感じましたから。で、誰かがマネジメントしないと爆笑問題は売れないだろうな、と思うようになり、売れるにはどうしたらいいんだろう? と考えていったら…自分が会社を起こしてマネジメントするのが一番いいというところに行きつきました」
——自分がマネジメントすれば、爆笑問題を売る自信があった、と。
「いや、それはありませんでしたよ。ただ、だらだらと過ごしちゃったら、後悔する可能性があるじゃないですか。売れるかなんて確信できないですよ。私もタレントとして芸能界にいたから分かるんですけど、能力が高くても売れない人ってたくさんいますから」
——太田社長がマネジメントすると宣言して、お二人はすぐに納得したのですか?
「田中はやってもらえるのは嬉しいって言ってました(笑)。太田は、会社の経営やったことないし、芸能界は大変だからやめた方がいいんじゃない、って若干難色を示しましたけど。じゃあ、どうすんのよ、って話で。だって何もしなかったら、あんたたちずっとこのままの状態なんでしょ? 私が決めたことだから、やるよ! ってそれだけです。
ただ、先々を考えて、爆笑問題にとって良いことがあるなら、嫌な仕事もとってきちゃうかもしれない。でも、文句言わないでやってよ、というのは伝えましたし、二人に約束してもらいましたね」
——お笑いの仕事がなくて、太田さんは家にこもり、田中さんはバイトの日々。お笑いに対するモチベーションはさすがに下がっていましたよね。
「だから、仕事を先にとってこようと思って。仕事とってこないと、こいつらネタ作らないなということは、分かりましたから」
——もう逆境どころの騒ぎじゃないですね。その頃の爆笑問題のお話を伺っていると(笑)。太田社長がマネジメントすることを決めて、一番はじめにしたことは、何だったんですか?
「まず、自分がタレントだった頃に知り合ったプロデューサーなどを訪ねました。でも、皆さん、出世されていて若い現場スタッフを紹介されるんですよ。それだと、お互いによく知らないし、一つの仕事を決めるのも大変で、亀の歩みのスピード。これじゃあダメだ! と爆笑問題の単独ライブを行って、売り込むことにしたんです」
——そのライブの成功が爆笑問題がブレイクするきっかけになったというのもよく言われるところですが、戦略とか仕掛けがあったんですか?
「んー、というよりも、TV関係の人たちは、みんな常に良い芸人を探しているんですよ。だからよっぽど怠慢じゃない限り、案内があれば足を運ぶもんなんです」
——案内状はどれくらいの数、送ったんですか?
「TV関係、出版関係、広告関係…あと番組の制作会社などに送りましたね。数は4000通くらいかな」
——4000通! 全部お一人で作業されたんですか?
「一人でやりましたね。それは自分の仕事だと思いましたから。爆笑問題には手伝わせていません」

















