No.14 若林昇 株式会社グレープストーン

(前号までのSTORY)美術大学卒業時の就職活動が上手くいかず、バイトで社会人ほろ苦デビュー。半年後、未経験という逆境を乗りこえ、「東京ばな奈」製造・販売の株式会社グレープストーンに入社。しかし、開発を初めて手掛けた商品が在庫の山になった。その経験をバネに、次々ヒット作を連発。次なる目標は、社長が絶対に出さない、と言っていたバウムクーヘンの製品化だった—。
PROFILE
若林昇(わかばやし のぼる)
株式会社グレープストーン
菓子企画部 チーフディレクター
1975年、神奈川県生まれ。多摩美術大学卒。大学卒業時の就職試験面接に、リクルートスーツを着用したくないというこだわりから私服で挑むも全滅。就職浪人。約半年間のデザイン会社でのバイトを経て、東京ばな奈を製造販売する株式会社グレープストーンに企画開発担当として入社。「クロベエ・ジャポン」「しっとりクーヘン」などの新ブランドを軌道にのせた。
材料は特殊でも、見た目が普通と却下された試作のバウムクーヘン
——社長が「グレープストーンでは、バウムクーヘンは絶対に作らない」と言っていたわけですよね。普通、絶対に無理だなと思いますよ。それなのに、密かに開発を進めちゃうなんて…会社員がそんなことしていいんですか(笑)。
若林「普通はやらない(笑)。社長がやらん、と言ったものをわざわざ密かにやる必要はないですから。自分は特殊で、そこを何とか切り崩したいと思う性格なんですよ」
——密かに開発を進めていたって、どんなことをしたんですか。
若林「当時は、食品の材料として米粉が使われ始めた頃。普通のバウムクーヘンは小麦粉で作りますが、米粉でもいけるんじゃないかという構想がすぐに浮かびました。試作品を何度か作ってみたら上手くいって、すごく美味しい。これだったら画期的だから、社長も納得するだろうと、試食をお願いしたんです。そしたら、『確かに米粉のバウムクヘーンは、新しいかもしれないな』と言ってもらって、心の中でやったぞ、と思ったんですね。でも、だんだん雲行きが怪しくなってきて、社長の表情が変わってきた。『米粉のバウムクーヘンは、材料は特殊かもしれないけど、見た目が普通だろ。お客様はただのバウムクーヘンとしか見てくれないから、これじゃ製品化できない』とダメ出しされてしまった。ショックですよ。自分の中では、これ以上できないという段階で持っていってますから」
——さすがというか、東京ばな奈の開発者である社長の視点は違いますね。まぁ、言われた方はたまらんですけど。
若林「見た目で個性を出すなんて…うわーハードル高いなと思いました。でも、どうしても諦められなかったので、考えに考え抜いて、何層かに分けて違う色と味にしてみようと思いついた」
——バウムクーヘンって、生地を巻いて作っていくんですよね。色と味を変えるなんてそう簡単にできないんじゃないですか。
若林「製造はとても複雑になります。色と味が変わる度に生地のトレイを交換する手間がかかるからすごく大変。それを何とか工場に作ってもらって社長に再提案した。色が5層のバウムクーヘン。レインボークーヘンという仮のネーミングをつけました。社長に見せたら、こんなバウムクーヘンないな、うちもバウムクーヘンやるかと、やっとGOサインをもらいました」
単品のバウムクーヘンづくりが新ブランドの構築まで成長した
——そのレインボークーヘンはどれくらい売れました?
若林「先程、レインボークーヘンと言ったんですが、それは仮の名前。実際には今弊社の主力商品になっている、しっとりクーヘンの原型になったんですよ。その頃、ふわふわした食感のバウムクーヘンが流行っていたので、グレープストーンはしっとり系で行こう! と改良を重ねました」
——発売された日のことを覚えていますか?
若林「社長からGOサインをもらった数カ月後に羽田の第2ビルディングのオープンがあって、その中のショップでの販売が決まりました。発売初日の売上がちょうど目標にしていた額くらいでひと安心した記憶があります」
——その後の人気はどうだったんですか?
若林「それが、その翌日から羽田の第2ビルディングオープンのニュースがTVで放映されて、しっとりクーヘンはここでしか買えません! というアナウンスが流れ…それで売上がいきなり3倍に跳ね上がった。工場を明け方まで稼動させて、作っても作っても間に合わない。TVの影響力の恐ろしさを思いしらされましたね。その直後にお正月の帰省が重なって、また売上がどーんとあがって、とてもありがたいことなんですが…もう売れないでくれとちょっぴり思っちゃいましたね(笑)」

















