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No.23 テラウチマサト 写真家

テラウチマサト 写真界の地平線創造

このインタビュー前夜。社長、編集長、著名な写真家の3役を一人でこなされている寺内さんを「よほど、自分が、自分が、という自己顕示欲の強い人物に違いない」とイメージし、床についた。そのイメージは翌日のインタビューで打ち砕かれる。肩書きや実績から受ける私の思い込みと真実の肖像。その落差があるほど、刺激的なインタビューになる。

PROFILE

寺内雅人(てらうち・まさと)
1954年、富山県生まれ。
写真家・テラウチマサトとして、ワールドワイドで活躍。その作品は「心の絵」と呼ばれ、写真が動いて見える、写真から音が聞こえると言われている。カルティエの撮影やマサチューセッツ工科大学での講議など、海外での評価も高い。
日本写真家協会会員。写真集に「The Land Hope Resides/希望の地」などがある。
[公式サイト]
http://www.terauchi.com/terauchi/index.html

売れたらいいなっていうのは考えずにファットフォト創刊

テラウチマサト——寺内さんは、写真をテーマにした雑誌ファットフォトの[編集長]であると同時に、その雑誌を編集・発行している会社の[社長]でもある。日本では一般的に編集発行人である社長と、編集長は別々の人で分担することが多いわけですけど、お一人で兼任されていて不都合はないですか。
寺内「んー、感じたことないですね。フランス料理店に、オーナーシェフっていますけど、それに近い感覚、経営者と作り手を自然体で両立できていると思いますね」
——しかし、社長と編集長の2役をやっていると、どうしても社長の部分、ズバリ言うと利益が気になって、そっちの方に誌面づくりが引っ張られる恐れはないですか。
寺内「経営者である以上、本当は利益を考えなければいけないんですけど…あまり考えてないですね(笑)。だから、企業経営をしてる友人から、寺内さんのやっているのは経営じゃないと言われたりする(笑)」
——うーん、でも雑誌が売れないより、売れた方がいいわけですよね。
寺内「そういうのもあまり考えてこなかったですね」
——ほんとですか!? だって雑誌づくりって莫大な費用がかかりますよ。
寺内「なぜ、あなたがそこに固執して質問してくるのか僕にはよく分からないんだけども(笑)。ファットフォトを7年前に創刊した時も、売れたらいいなよりこんな雑誌があったらいいな、なければならないって想いだけで創刊したんですね。いうなら戦略ではない。想いであるってこと。」
——そこを詳しく伺わないと、この問題は解決しそうにないですね(笑)。なぜ、ファットフォトを創刊されたのですか。
寺内「始まりは一人の写真家としての実感。その頃、僕は海外で写真撮影の仕事をすることが多かったんだけど、日本に戻ってくると日本の写真界が沈んでいるように見えた。そうじゃなかったのかもしれないけど、少なくとも僕にはそう見えたんです。写真を撮るという行為は、年配者の趣味であって、若者のものではない雰囲気と言ったらいいかな。でもね、若者の入ってこない業界って、未来がない。必ず衰退する。写真界の入口を広げるにはどうしたらいいかと考えて…若者のために憧れの場・憧れの人をつくらなければ、と。それがファットフォトなんです。『写真好き人(びと)』をつくるために誕生した雑誌だから、売れ行きどうのこうのなんて最初からなかった。感性ある若者を『写真好き人』にするためにファットフォトは存在してるんです」
——その時の寺内さんは海外でも活躍されていた[写真家]テラウチマサトの肩書きはあっても、雑誌づくりの経験はなかったわけですよね。創刊のためのノウハウはどうされたんですか。
寺内「編集者の方々から見たら、なにもないに等しかったでしょうね。だから、正直始めは全然上手くいかなかったですよ(笑)」

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