1. ホーム
  2. インタビュー 一覧
  3. No.24_矢部美幸

No.24 矢部美幸 ファンタスタープロモーション株式会社

矢部美幸 すぐ歳をとってしまう、今しかない

芸能界とはもう関わりたくないという男が始めた芸能プロダクション「ファンタスタープロモーション」。それがわずか4年半で急成長を遂げた。開かれているようで閉ざされた世界、芸能界でそれを叶えるのは容易ではない。4年半前、矢部美幸と会っていたらと考える。「あなたのやろうとしていることは無謀。不可能だ」と私自身、言っただろう。

PROFILE

矢部美幸(やべ・よしゆき)
ファンタスタープロモーション株式会社
代表取締役社長 
1969年、大阪府生まれ。
高校卒業後、吉本興業のNSC(吉本総合芸能学院)7期生に入学。お笑いコンビ「ぱんちらいん」を結成もその後、芸能活動を断念。引きこもり期・様々なアルバイト、トラック運転手などの経験を経て、30代前半にして芸能マネジメントの仕事へ。わずか4年半にして現事務所を急成長させた。

20代の7年くらいはムダに過ごしてたそのうち1年は完全な引きこもり状態

矢部美幸——芸能プロダクションをやり始めるきっかけをまず伺いたいのですが。
矢部「自分から芸能プロダクションやろう!っていうわけではなかったんです。僕、今年で38歳で『芸能事務所の社長です』っ
て今でこそ言うてますけど、33歳の時はフリーターでトラックの運転手をしてましたから」
——トラックの運転手から芸能事務所の社長に…いったい何があったんですか(苦笑)。
矢部「大阪でタレント養成所を運営していた方と知り合いで、その養成所を芸能プロダクションにしたいんだけど、一緒にやってみないか? って声をかけられたのがきっかけですね。またちょうどその時、バイト先の会社がつぶれそうで、もう辞めようって思てたんで、1ヵ月ぐらい悩んでやってみようかなぁって」
——1ヵ月悩んでって、長い気がしますね。何か引っ掛かりがあったんですか?
矢部「もともと僕は芸人で成功を目指していた人間なんで。高校卒業して、吉本興業のNSC(吉本総合芸能学院)入って、漫才をやりだした。それが夢破れて、フリーターやって…もう芸能界と関わりたくなかったんですよ。それが、なんでやろうと思たかと言うと、世間一般に33歳の人間がある日突然、プロダクションやりませんか?って言われる事なんて、まずないことやと思ったんです」
——矢部さんが芸人で挫折した時期、対極的に弟さん(ナインティナイン・矢部浩之)は人気者になっていった。その状況をどのように感じていましたか。
矢部「自分がやりたいことを、全部弟が実現していくわけですよ。これはさすがにね、現実を受け入れる事ができなかったです。まだ、自分の兄貴だったらよかったですけどね、兄貴だったら。弟でしょ。そのショックからか…引きこもりになった時期があります。20代の7年くらいはムダに過ごしている。そのうち1年は完全な引きこもり状態…夕方起きて、ご飯食べて、レンタルビデオ屋行って、ビデオを3本見て寝る、それを1年繰り返してました。今でこそ、自社のタレントを弟と共演させたい
と思えますけどね(笑)」
——そこまでの引きこもりを払拭できたきっかけって何かあったんですか。
矢部「それも実は、弟の一言なんです。実家に帰って来た弟から、『自分、ノイローゼちゃう』ってポンと軽く言われたんですよ。ほんと軽い感じで。そっからですよ、僕が変われたのは。それまで自分では薄々感じてたけど、認めたくなかったんですね。言われて、やっぱそうやんって。これじゃアカンって。今考えるとその一言で魂の抜けた生活から抜け出せたと思います」
——芸人としての挫折。そして、長きに渡っての引きこもりの苦しみ。その時は、ただ、ただしんどかったことが、今のお仕事に役立っていると感じる瞬間はありますか。

この続きはマガジンで...
販売について
バックナンバー
INTERVIEW